私の進化の歴史

はじめまして、アルファです。

今でこそ日常的に女性にアプローチをする日々を送っていますが、かつては私も女性に声を掛けようとするだけで、手が震えてしまうような臆病な男でした。

ふと自分の歩いてきた道を振り返ると、「人って何歳になっても成長するものだな~」と感慨深い思いになります。

ここでは、今までの私の進化の歴史について、ヴェールを脱がせていきます。

1.これが全ての始まりだった

 

「付き合っている人がいるの、ごめんなさい」

 

あれは忘れもしない中学2年の秋だった。

当時、学内で一番注目を浴びていた女子バスケ部のミユキに、バスケットボールと一緒にパスされた言葉。

文字通り、彼女は私の告白のボールを受けて、ドリブル(思い悩むこと)すらせずに、タッチ&パスしたのだ。

脳内では毎日濃厚なセックスをしている子に、そんな現実を突き付けられた日を今でも忘れません。

それを期にして、女関係で不自由してなさそうな不良グループに入って、
いっそ永遠とわにグレようか~♪と思ったが、

私はスポーツと勉強、趣味などの、女性関係以外に没頭するようになりました。

 

「人よりもバスケが上手くて成績が良ければ、女子から言い寄られるはず!」

 

 

そんな甘い考えを持ったまま、進学校の理数科に入学して、イケてない男友達とつるみ、受験勉強を黙々シコシコとこなす日々。

 

現実を受け止める勇気と、現実を変える知恵すべを持ち合わせていなかったのです。

 

そして、高校3年からガラケーの出会い系にハマってしまい、ギャル系のお姉さんと待ち合わせをしては、歩いている途中にバックレられるという苦い思いを繰り返していました。

そんなこんなで、出会い系へのアクセスが増える度に学業の偏差値が落ちていったのだが、なんとか世間では優秀とされる大学に入学することができました。

これで人生リセット、光り輝く第二の人生が待っていると期待していたのだが・・・

2.衝撃の入学式

 

「大学生デビューしたら彼女くらいできるだろう、ぐふふ」

 

と想像をモッコリと膨らませながら入学式を迎えたのですが、その期待は入学初日に見事に裏切られました(泣)

高校に続き理系の大学であったため、学部内に女子が4%くらいしかいなかったのです。

 

しばらくの間、環境のせいにしながらキャンパスライフを送っていたのだが、ヤラハタ(セックスをしたことのない20歳)を目前にして、問題コトの本質を直視するようになった

環境が個人に対して与える影響は大きい。でもね・・・

 

その環境を選んだのは自分。
その環境が不都合なのであれば、甘んじずに選び直せばいいんだ。

 

急に視界が広がった私は、自分を変えるべく、突発的・人為的な出会いであるナンパを始めようと決意したのです。

3.反逆のキャンパスライフ

ナンパを始めたものの、その当時(2001年頃)はインターネットがさほど普及しておらず、女性心理に関わる情報や目標とするロールモデルも少なかったため、試行錯誤は困難を極めました。

とりあえず、髪を金髪に染めて日焼けサロンで肌をこんがり焼いて、見るからにイカつい服を着ることから始めました。

 

もうね、理系の大学では浮きまくっていました(笑)

 

そして、自宅から新宿駅や渋谷駅までのナンパ用定期券を購入して、毎日ストリートナンパをするようになりました。

女の子に声を掛けられない地蔵状態で苦しんだときもありましたが、ヤラハタになる恐怖とAVでしか見たことのないセックスへの好奇心とで一心不乱で声を掛ける毎日を過ごしていました。

 

そして遂に、一皮剥ける日が!

 

新宿アルタ前でナンパしたヤンキー上がりの女の子と2002年5月にベッドインすることにより、私のヤラハタ危機に終止符を打つことができました。


※初体験から欠かさず記録しているベッドイン管理台帳。
(画像をクリックすると拡大できます)

その子の実家にお邪魔するときに、その子の母親が「笑っていいとも!」を観ながら、
「頑張ってね」と励ましてくれたことを覚えています。

その後、ホストやキャッチをアルバイトとしてかじりながらも、若さゆえの勢いにまかせたナンパをする日々を過ごしていました。

4.丸の内ゾンビになっちゃった

ナンパのし過ぎで大学を1年留年した後、運良く第一志望の大手企業に入社することが出来たのも束の間・・・

 

待っていたのはゾンビ・ライフでした(泣)

 

会社で個性の無いゾンビ達に揉まれているうちに、自分自身もゾンビ化してしまって・・・

大好きなギャルへのアプローチに難しさを感じ始めるようになりました。

 

おかしい!俺の中の何かが狂い始めているぞ!!

 

5.煩悩にまみれた坊主頭

ある日渋谷を歩いていると、可愛いギャル系の女子を連れて歩いている男に、一種の共通点があることに気付いた。

坊主頭にヒゲ、そしてダボダボのジーンズの男達だったのです。

その当時、インディーズ感漂うエグザイル第一章(SHUNが脱退する前の初期のエグザイル)がポップカルチャーを席巻している最中だったので、いわゆるヒップホップ系の男臭い男が格好良いと言われていた時代でした。

現在の女性的なK-Pop系とは真逆のトレンドだったのです。

その大発見をした夜、私は・・・

 

風呂場で、乾電池式の古いバリカンを手にしました。

 

「今日からヒップホップを聴くメ〜ン!」

 

 

案の定、翌日、会社で「何かの責任でも取ったのか?」と大騒ぎになりましたが、
「気合を入れてきました!」と爽やかに誤魔化したことを思い出します。

ダボダボなジーパンにニューエラの黒いキャップをかぶるようになり、大きなネックレスを首からぶら下げるような大きなイメチェンを図りました。

 

外見が変われば、雰囲気も変わる。

 

雰囲気が変われば、心構えも変わる。

 

心構えが変われば、付き合う人も変わる。

 

そんなこんなで、渋谷のヒップホップ系のクラブから、ギャルを頻繁にお持ち帰りするようになっていました。

※飲み友達以上の関係でしたが・・・

 

この思い切った自己改革や変化により得た性功体験が、今後の私の人生における大きな財産になりました。

6.理想の世界との遭遇

私の興味がギャル系から外国人女性に変わり始めたころ、私はサイモンという日本とドイツとのハーフの青年に出会いました。

彼は若干25歳でありながら、持ち前の語学力と交渉力、リーダシップ、そして自信を買われて、ドイツの中小企業の日本支店のマネージャーをしていました。

彼と行動を共にするに連れて、彼のライフスタイルと自分のとで大きなギャップがあることに失望し始めました。

サイモン:「今日夕方ころバーに行って女をひっかけようぜ」

私:「今日も仕事終わらないかもしれない」

サイモン:「何時に終わるとか計画ないの?」

私:「日本人は仕事に振り回されること前提だから分からない。飲み会もありそうだし」

サイモン:「飲み会って仕事じゃないじゃん?俺は自分が開催するパーティー以外は断ってるよ(自己中)」

私:「てか、今日仕事ないの?」

サイモン:「今日は会議ないからオフィス行ってないよ」

サイモン:「家で仕事して、さっきセフレに飯作ってもらってた」

私:「・・・(外国人羨まし過ぎる!)」

同じ会社員という生命体なのにも関わらず、人種という前提条件が違うだけで、これほど自由度が違うのかと愕然としました。

会社に振り回され搾取される人間と、若くして会社とフェアな関係を結ぶ権利のある人間。

まさに、理想の世界ロールモデルとの遭遇である。

確かに、彼の語学力や交渉力、リーダシップ、自信には凄いものがある。

ただ、外国人特別対応されることにより、日本人的な振る舞いや、理不尽への我慢、仕事の正確性を要求されていないことが、羨ましくて羨ましくて仕方なかった。

日本の労働環境が相手の属性によって対応を変えるのであれば、その手を逆手に取ってやろう!

そして、あわよくば「海外移住してゾンビ人生におさらばしてやろう!」という野望が膨れ上がってきた。

7.ナンパ封印→世界進出

ここで私は、スマホやパソコンの表示、日常の読み書き全てを英語で行う英語縛りという荒行を決行した。

テレビもCNBC(アメリカの経済ニュース専門のチャンネル)だけを観ていたし、日本語の打ちにくい米国キーボード版のパソコンをあえて使っていた。

日本人の女へのナンパについても、日本語を使うという理由から封印することを決めた。

女性関連の勉強をしたいときは、英語でのナンパのセリフ集やアメリカの恋愛心理学教材を勉強するなど、徹底的に英語を使って勉強することにこだわっていた。

そして、オーストラリアでの短期留学を皮切りに、シンガポールとニューヨークの会社で働くようになりました。

ついに、残業が年に数回あるかどうかの、日本人からしてみれば、

 

夢のような日々を実現

 

することが出来たのです。

8.日本帰国でナンパ戦線復帰、そして再ゾンビ化

シンガポール近辺では風俗が充実しているため、コスパを考えるとナンパをする必要がなかったのですが、日本にいた頃の和のナンパを求めるようになってきました。

それに追い打ちをかけて、シンガポールでの永住権の申請が2度却下されたため、安定的にシンガポールに居続けられるかどうか、不安が頭をよぎりました。

永住権がないと転職が非常に困難であるためです。

 

「日本でも、ちゃんと会社を選んで働けば、ゾンビにならない生活が送れるのでは?」

 

と絶望の中に光る僅かな希望と甘えた考えを胸に、日本帰国を決意しました。

 

日本に帰国してから、ナンパにおける気持ちマインドや技術、ファッション全般において、
ブランクによる狂いが生じていたため、それらの補正作業に取り掛かりました。

最初の2年間は、自分なりの試行錯誤で答えを見つけようとしていました。

ところが、外資系企業の日本支店IT部長として、破茶滅茶な中国人やインド人、そして日本人ゾンビとの板挟みに苛まれているうちに、試行錯誤を行う気力自体が無くなりつつありました。

良い経験をしていたものの、確実に元気が無くなっていたのです。

そのとき、

「全ての成功は模倣から生まれる」

 

という格言が、ふと頭をよぎった。

そうです。

改善点やアイデアを見つけるのが時間的・精神的に困難なのであれば、誰か自分より上手い人にアドバイスを貰えば良いのです

単純明快かつ効率的な話です。

 

そこで、私はインターネット上で徹底的に調べ上げて、YASUさんというナンパ師の存在を知った。

彼と私とは世代やバックグラウンド、そしてターゲットの女性が似通っているため、

 

「この歳でも、まだまだイケるぞ!」

 

という親近感と現実味を感じました。

それと同時に、彼のナンパの原点がTAVという恋愛・ナンパ教材であることを知り、すぐこの教材を試してみた。

このTAV、先程の英語縛りをしていたときに学んでいたアメリカの恋愛心理学教材と、本質が見事に一致していることに驚きだ!

9.第三次成長期の勃発

海外脱出するために数ヶ国語をマスターしようとする異才ヘンタイが、サラリーマン生活を10年も続けてくると、

 

「そもそも日本のサラリーマン生活に嫌気がさして海外へ出たのに、また同じライフスタイルに戻るのかい?」

 

という、根本的な課題を直視するようになります。

 

これは他でもない・・・

 

私の中で第三次成長期が勃発したからです。

 
 

このとき、私の中の3人の小人が緊急会議を開きました。

小人A:「もうサラリーマン辞めて、独立しちゃおぅよ~」

小人B:「ふざけるな!せっかくのキャリアが台無しじゃないか!」

小人S:「もし今日が人生最後の日だとしたら、今日やろうとしていることを貴方はやりたいのだろうか?
もしその答えが「NO」という日が何日も続くのならば、貴方は何かを変える必要がある」

 

私は考えた・・・

 

「残された人生と時間、体力、精力を何に使うべきか?」

 
 

結論は、小人Sの助言に従うことにした。

そして、私のような第三次成長期に入っている男性達を、精力的に助ける活動をしようと思った。

 

「同じ地平線を眺めている仲間が、少しでもその遥か彼方へ行けるように、背中を見せていくんだ!」

 
 

そんなこんなで、本ブログでは、常識にとらわれない一般女性との性長過程ハプニングを、貴方に向かって披露はっしんしています。

 
 

P.S.
ちなみに、小人Sの名前はスティーブ。
リンゴのマークの携帯電話を世界中で売りさばいているらしい。

彼の口癖は・・・

“Stay hungry. Stay foolish.”
「ハングリーであれ。バカであれ。」